宵闇

しくじった。
私としたことが。
うっかり仕事の量を読み間違ってしまいました。
目の前の書類の山は、昨日から全然減っていかない。
て、言うか。
先輩方。どうして去年の資料、ぐちゃぐちゃにしたまま卒業しちゃったんですか?

時計を見る。6時47分。
下校時間はもうすぐだ。
窓の外はもう薄暗くなってきている。
部活の連中も、もう、あらかた下校してしまったのだろう。

はあ。もう、ここを出なくちゃ。
今日中に終わらせたかったなあ、これ。
明日には印刷を始めたい。
これ。今晩持って帰ろう。
のろのろと机の上の荷物と資料を始める。
徹夜すれば間に合うかなあ。
急に泣きたくなってしまった。



カラリ、とドアが開いた。

「まだ残っていたのか?」

そこに立っていたのは、すらりとした長身を白と青のジャージに包んだ生徒会長。

「あ。手塚君。忘れ物?」
「灯りが付いていたから覗いてみた。もう下校時間だ。」
「ちょっと仕事残しちゃって。」
「らしくないな。」
「うん。仕事の分量、読み間違えちゃった。」

手塚君は、すいと生徒会室の中に入ってくると、私の机に近づいた。
いつもここで会うときは学生服姿だから、
見慣れないテニス部のジャージ姿にちょっと見とれる。
こんなに間近で見たのは初めて。違う人みたい。
勿論学生服も悪くはないけれど。断然こっちの方が様になる。
下級生達が騒ぐはずだ。

「議事案か?」
乱雑に散らかった私の机の上から書類を一枚手に取る。
うひゃあ、書きかけの書類は見られたくない。
「そう。去年の資料をベースに、少し手直しすればいいと思ってたんだけど。
先輩達、ちゃんと資料残してくれて無くって。」
書類越しに手塚君の顔をこっそり見上げる。
銀縁眼鏡の向こうにある瞳の表情は変わらないままだ。
「他の連中はどうした?」
「高橋と佐藤ちゃんは補講。村田さんと山本君は部活。」
は?」
「新聞部は、部活、月水金だけだから。」
手塚君は丁寧に、もと有った場所に書類を揃えてから視線を下げた。
「手が回らないときは、先にそう言え。」
「ごめん。今日中に終わると思ったから。」
「お前は仕事を抱えすぎる。」
「スミマセン・・・・」
ああ、だから見つかるの嫌だったんだ。
この、文武両道眉目秀麗の生徒会長は、手際の悪さを最も嫌う。
私は何かにつけていつも怒られてばかりだ。

「まあ、のうのうと部活に出ていた俺に言われる義理じゃないがな。」
「あ。手塚君は大会中なんでしょう?仕方ないよ。」
「いや、明らかに俺の監督不行届だ。」
「あ・・・。そんなことない。私が愚図だから・・・」
「とりあえず、今日は帰れ。送っていこう。5分で着替えて来る。ここで待っていてくれ。」

え?送って?
あまりにも日頃の彼の行動にそぐわない言葉に一瞬耳を疑う。
ああ、いけない。5分で準備しなくちゃ。
彼が5分と言ったからには、きっかり5分後に姿を現すはず。
あわてて机の上を片づける。
書きかけの書類と資料の山をその辺にあった紙袋に突っ込む。
電気を消そうと壁に近づいたところで、制服に着替えた手塚君が現れた。

ほら。きっかり5分。

「どうだ、帰れるか?」
「うん。大丈夫。」
「窓、開いたままだぞ。」
「あ。」
窓を閉めようとして気が付く。
テニスコートからは、体育館が邪魔でここの窓は見えない。
ひょっとしてわざわざ様子見に来てくれたのかな。

ものも言わずに踵を返す手塚君に遅れないように慌てて生徒会室を出る。
女の子に合わせて歩調を緩めるなんて事をしないのがいかにも彼らしい。

「ねえ、手塚君。うち、近いから。送ってくれなくても大丈夫だよ。」
「知っている。徒歩通学だろう?バス停からでもそう遠くない場所だ。」
「?なんでうちの場所知ってるの?」
「年賀状を貰った。」
「あ。」
「表書きの住所をみれば嫌でも、徒歩通学だと想像は付く。」

ちょっと驚く。普段は全く他人になど興味を持つ素振りを見せない彼が、
週に何回か生徒会で顔を合わすだけの、
そう親しくない人間から貰った年賀状まで丁寧に見ていたことが意外だった。
ああ、周囲が思っているより、この人細やかなのかな。
半年間付き合って、初めてかいま見た彼の素顔がなんだか嬉しい。

相変わらず三四歩先をすたすた歩く手塚君に追いつけるように
なるべく歩調を早めて頑張って歩く。
やっと、並んで歩く。
背の高い彼と並ぶと、彼の肩は私の視線よりまだずっと高い。

「ねえ。今、大会中なんでしょう?地区大会優勝したんだよね?」
「ああ。」
「都大会優勝したら、記事にさせて貰うから。昨日の編集会議で決まったの。」
「学校新聞に載せてくれるのか?」
「うん。誰か取材に行くと思うよ。手塚君の所。」
「誰か?」
「うん。誰か。」

が来ると良い。」


「え?」
「取材ならが来ればいい。」
「は?」
「どうせ書くならが書いてくれ。」
「!」
「新聞部の連中はくだらないものを書く奴が多すぎる。
その点、の記事は主観が偏らず、読み手を意識していて気持ちが良い。」

ええっ??今何て言いましたか?
あまりに普通の口調でさらっと言われたものだから一瞬聞き流しそうになる。

「て、手塚君、私の書いた記事読んでくれたの?」
「学校新聞だ。誰でも読む。」
「あ。だって、署名記事じゃないもん。」
「四月から第一面のコラムと、OB訪問の連載を書いているのはだろう?」
「・・・・!何で私だって解るの!?」
「知っている人間の書く文章だ。普通解る。」

怖々と隣を歩く手塚君の顔を覗き上げる。
視線は前を向いたまま。相変わらず表情も変わらない。
でも。
なんだか。
もの凄く嬉しい。
新聞部の先輩以外に自分の書いた記事を誉められたのは初めてだったから。
クラスの友達なんて、誰もあれを書いたのが私だなんて気付かない。
ううん。大体、普通の生徒は学校新聞なんて読まないもの。


まじまじと自分の顔を眺める私の視線に気づいてか、手塚君の視線がすいと下に降りた。
「なんだ。俺の顔に何か付いているか?」
多分、半年のつき合いの中で。
初めて真っ向から手塚君と視線が合ったような気がする。

「あ、ごめん。何だか嬉しくて。」
「良い物を良いと言っただけだ。」
「ありがとう。」
「礼を言われる筋合いじゃあない。」

相変わらず、表情も口調も変わらないように見えるけれど。
ほんの少し。声のトーンが上がったような気が。
ほんの少しだけなんだけど。
彼を取り巻く空気が優しく震えたような気がした。
今一緒に歩いているのが、あのしかめ面の生徒会長だと言うことが
なんだか信じられない。

もう一度、ありがとうと言いかけようとしたら、また目があって。
お互いなんだかばつが悪くなって俯いてしまった。
「あ、うち、ここ。」
学校から家まで。歩いて十分位なんだけど、なんだかとても長いような短いような。

「送ってくれてどうもありがとう。生徒会長。」
姿勢を正して、畏まって頭を下げてみる。
手塚君はちょっとたじろいだような、困った様な顔をして視線をはずして。
それからすぐに、やっぱり、いつもの表情に戻った。
「議事案は明日にしろ。月曜の放課後一番で印刷に回せるよう俺が掛け合う。」
「うん。ありがとう。そうして貰えると助かる。」
「それじゃあ。」
「うん。お疲れさま。」
「ああ。」

いつもと同じ無愛想な挨拶。
玄関のドアを開けようと背中を向けた私に後ろから声が掛かる。

。」

「悪かった。もっと早く気付くべきだった。」

いつもと同じ抑揚の無い、でもまっすぐな手塚君の声に。
思わず涙が出そうになって慌てて堪える。

「ううん。大丈夫、ありがとう。」
「無理をするな。頼りにしている。」
「うん。」
「手塚君も試合頑張って。」
「ああ。」

この人、いつも無表情だけど、良く見ると意外に感情は表に出ているのかも。
今まで、只、何か怒られるんじゃないかとびくびくしてたから見逃してただけかもしれない。

手塚国光。結構良い男かも。
居残りしてて良かったかも。
夕暮れに彼の後ろ姿が消えるのを見届けてから。
私は なんだか、ちょっとだけ得をしたような気分で、
重い書類をよいしょと抱えて、玄関のドアを開けた。

END



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愛のまるやけ 2001-2002 金谷ホタル